その他、葦毛湿原の情報



●葦毛湿原の特徴

 葦毛湿原は一般に知られている地域の湿原とは異なり、特異なものです。
一般に湿原を起源によって分類すると次のようになります。
  1.湖沼湿原(湖沼が埋め立てられ、その末期に生ずる)
  2.河川湿原(河跡湖が埋め立てられ生ずる)
  3.平地湿原(平坦地のくぼみに生ずる)
  4.海岸湿原(海岸の沿岸川の内側に生ずる)

 この、いずれにもあてはまらないのが、葦毛湿原です。
有名な尾瀬ヶ原や釧路湿原は植物の厚い堆積層がありますが、葦毛には、植物の堆積物はほとんど存在しません。

1 地形
 葦毛湿原の位置
      東経 137度 27分 15秒
      北緯  34度 44分 30秒
      高度 65m付近
 葦毛湿原は豊橋市の東部にあって、愛知県と静岡県の県境を南北に走る弓張山脈の西側山麓に位置し、三方を標高250m前後の山に囲まれた浅い谷底低地からなり、その型はU字形を示しています。
 湿原の背後の山腹は25度程度の斜面で、その傾斜が緩やかになる所(遷移点)に葦毛湿原があります。湿原の位置する標高75mから60mにかけての勾配は8度ないし4度と緩やかになっています。湿原の一部には放棄された水田跡があり、現在でもその畔の名残が確認できます。

2 地質
 葦毛湿原の中枢部では、チャートの基盤岩を黒色のシルト・粘土層がおおっています。この、シルト・粘土層が普通10〜20cmの厚さであり、厚いところでも40cmを越えるところはなく極めて薄い表層土を形成しています。流水の見られる所では表層土が流出してしまい、チャートのガレ場となっています。

3 湿原の成因
 先に述べた地形、地質より葦毛の場合は、不浸水層はチャートの基盤岩に普通10〜20cm程度の表土壌で構成されています。つまり、水を貯留する帯水層が極めて貧弱なのです。
 しかし、葦毛は一定量の水が常に確保され、湿原が生き続けています。
その理由は以下のように考えられています。
 葦毛湿原の背後の山腹斜面に年中枯れることのない水の供給源があります。この水は、地下水(湧水)なのか、貯留された雨水が流れ出しているのか現在のところ不明です。
 この日量20〜30tの水が恒常的に湿原に供給されています。そして、チャート基盤岩が地下の浅いところにあるので、不透水層を形成し、少量の水でも地下へ浸透しないのです。
 よって、地下水位が高く保たれ、そこに湿地帯が生まれたのです。

 葦毛湿原にとって、この背後の山腹斜面の水はまさに「命の水」です。
葦毛湿原の美しい自然をいつまでも維持するには、湿原内の保全活動はもちろんですが、この背後の山の植生の保全が大切となります。

4 植生
 葦毛湿原にはヌマガヤ群落・シラタマホシクサ群落・イヌツゲ群落・ハンノキ群落など多様の群落が分布し、多くの植物が生育しています。
 その中には、分布が伊勢湾周辺に限られる周伊勢湾要素植物のミカワバイケイソウ・シラタマホシクサ等が生え、ミカワシンジュガヤ・ミカワシオガマ・ミカワバイケイソウなどミカワ(三河)を冠した地域固有の植物が自生しています。
 また、氷河期の遺存植物と言われ、高山植物に近縁の植物であるミカワバイケイソウ・ミズギク・イワショウブが生育しています。
 食虫植物の、モウセンゴケ・トウカイコモウセンゴケ・ミミカキグサ・ホザキノミミカキグサ・ムラサキミミカキグサ・ヒメミミカキグサが見られることも湿原の特徴でしょう。
 その他、温暖な地にありながら寒冷地に分布の中心があるヌマガヤ・ミカヅキグサが見られるなど、学術的にも大変貴重な湿原なのです。





●葦毛湿原の保護活動のあゆみ

 太平洋戦争の末期、葦毛湿原周辺一帯は地の利を活かした一大燃料秘密貯蔵基地であり、葦毛の山林内には、独立戦車第8旅団鋭敏部隊の戦車の燃料入りドラム缶を約400本が空から発見されないように分散した貯蔵壕に隠されていました。
 今でも、その遺壕が山林内に多く点在しています。
勿論、当時は一般の者は立ち入れない秘密基地であり、終戦から年月は経ってからも葦毛湿原は一般には知られていませんでした。



【1965年】
 地元植物研究家の故恒川敏雄氏は珍しいミカワバイケイソウの生育地に気付き、湿原一帯の観察をおこない、葦毛湿原は貴重な自然環境と植物群落の宝庫であることが解明されました。
 同年、故恒川氏の案内で葦毛湿原を訪れた当時豊橋文化協会副会長の故野沢東三郎氏は、この地の保護を痛感し、湿原の一部の私有地が売りに出たものを環境保護のために購入しました。

【1967年】
 湿原保全のために豊橋青年会議所より湿原歩道用の枕木の寄付があり、故恒川氏は豊橋山岳会に湿原保全対策の協力を依頼しました。
 豊橋山岳会長夏目氏はじめ5名の奉仕活動により、最初の枕木遊歩道が完成しました。(1967年7月23日)

【1973年 6月9日】
 地元豊岡中学校生徒会の葦毛湿原環境保全美化活動が自主的に始まりました。

【1974年12月7日】
 市は湿原の公有地化と保全整備について県関係当局に対し陳情しました。
(市が解説板、案内板、卓ベンチ等設置)

【1976年4月27日】
 市は湿原の保全パトロールを豊橋自然歩道推進協議会に委託し、毎月一定日数の巡回指導が現在も行われています。

【1977年2月12日】
 県によって湿原植生保護のための保護柵が設けられました。

【1979年12月19日】
 市によって湿原訪問者のための無料駐車場が整備されました。

【1987年11月29日】
 市の天然記念物に指定されました。

【1991年12月1日】
 枕木遊歩道が完全に撤去され、新しい散策路の整備に入りました。
 (1992年3月に新しい散策路が完成)

【1992年2月28日】
 市の天然記念物指定から県の天然記念物に改定されました。

【1995年11月】
 湿原訪問者のための無料第2駐車場が設けられました。

【2024年6月18日】
 国の天然記念物に指定されました。


【1987〜2012年】
 第2〜第7次調査を行いました。(豊橋市実施)

【2012年〜 】
 大規模植生回復作業が始まり、現在も行っています。(豊橋市実施)


参考文献
 倉内一二ほか、1983:葦毛湿原。東海財団
 池田芳雄、1990:葦毛湿原調査報告書。1-12、豊橋市教育委員会
 豊橋自然歩道推進協議会、1984:葦毛湿原の植物(四季の観察案内)。2-10、豊橋文化協会
 豊橋自然歩道推進協議会、1994:豊橋自然歩道(25年のあゆみと案内)。18-54、豊橋文化協会



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